黒部川を開拓した先人たちの挑戦を知る

1920-FUTURE
高峰 譲吉 TAKAMINE JHOKICHI

1917年、一人の化学者が
黒部峡谷に夢を見た

高峰 譲吉TAKAMINE JHOKICHI

富山県出身、世界的な化学者であり実業家。アミラーゼの一種であるタカジアスターゼの発明、アドレナリンの抽出・結晶化など、化学界で偉大な業績を成し遂げる。日本初となる産業用アルミニウムの製造を推進すべく、東洋アルミナム株式会社を設立。アルミ精錬に必要な電力を確保するため、黒部川一帯の電源開発に取り組んだ。苦節の末、1920年に黒部川の水利権を得るも、1922年道半ばにして逝去。

山田 胖 YAMADA YUTAKA

同年、一人の男が
黒部峡谷の調査に向かった

山田 胖YAMADA YUTAKA

福岡県出身。東京帝国大学土木工学科を卒業後、逓信省に従事。省内で発電水力調査技師をしていた頃に高峰の熱い思いに触れ、心を動かされて退官を決意する。黒部川の現地調査後は、東洋アルミナム株式会社で水力部主任として発電所建設の陣頭指揮を担当。高峰の死、世界恐慌などを受け、経営母体が日本電力に替わるも現場責任者を続ける。困難を極めた建設工事の最中、「鉄道の貨客兼用利用、温泉施設の継続」という地元住民の願いに寄り添い、現在の黒部峡谷宇奈月温泉の礎を築いた人物でもある。

STORY

PROLOGUE 最後の秘境「黒部川」

PROLOGUE最後の秘境
「黒部川」

富山県と長野県の境にある3,000m級の山々を水源に、富山湾へと流れる黒部川。年間降水量は雨雪を合わせて約4,000㎜。大量の水が、火山活動で隆起した岩を侵食し、類い稀なる急流河川が形成された。かねてより大規模な崩落や氾濫を繰り返してきたため、集落はおろか道さえない険峻な両岸。こうして黒部峡谷は、電力需要が急増して水力発電所が各地に建設されていった明治後期以後も、誰も手をつけられない「秘境」としてあり続けた。

CHAPTER 1 秘境黒部の電源開発、ここに始まる。

CHAPTER 1秘境黒部の電源開発、
ここに始まる。

高峰は必死であった。時は明治の終わり。日本の発展には、産業用アルミニウムの国内生産が急務だった。しかし、アルミニウム精錬には莫大な電力が必要であるにもかかわらず、日本の発電事業はまだまだ未発達。発電所建設から着手しなければならない。そこで高峰が着目したのが故郷富山の中央を流れる神通川だった。しかし、すでに複数の企業が水利権を申請しており交渉は難航した。そこで新たに目を付けたのが黒部川だった。

CHAPTER 2 水利権を得て、電源開発へ。

CHAPTER 2水利権を得て、
電源開発へ。

急峻な地形で発電所を建設するには土木と電気の知見が欠かせない。優秀な技術者を探していた高峰が声をかけたのが、逓信省の発電水力調査技師を務めていた山田胖である。現地に赴き調査を重ねた結果、豊富な水を湛える黒部川は、水力発電にも好条件が揃う地であることが確認された。この頃にはすでにいくつかの企業から水利権の競願が出されていたが、高峰たち東洋アルミナムの事業が国策として認められ、水利権を獲得。ところが、いよいよ計画が動き出そうとしていた1922年に高峰が急逝。計画は電力事業を主とする日本電力株式会社に引き継がれ、山田は現場責任者として留まった。

CHAPTER 3 大自然に阻まれた難工事。周辺住民への配慮と深遠なる観光地開発計画。

CHAPTER 3大自然に阻まれた難工事。
周辺住民への配慮と
深遠なる観光地開発計画。

高峰逝去の翌年1923年には、発電所建設に先立って資材運搬用の軌道敷設工事が開始された。三日市から宇奈月まではほどなく完了した軌道敷設だが、宇奈月から上流、絶壁の中腹を掘り進む工事は難航。幾度となく大崩壊や雪崩に阻まれて見直しを強いられ、ルートの修正を余儀なくされた。時を同じくして、地元住民からは資材運搬のために敷設する貨物鉄道の旅客利用や江戸時代から続く峡谷の各温泉の存続を望む声が聞かれるようになり、指揮をとる山田はその声を支持。現在の富山地方鉄道宇奈月本線と宇奈月温泉の基礎は、この時に築かれたものである。

CHAPTER 4 黒部川初の発電所が完成

CHAPTER 4黒部川初の
発電所が完成

さまざまな苦難を乗り越え、1927年にはついに黒部川で初めての本格的な水力発電所となる「柳河原発電所」が運転を開始した。正式な名称ではないものの実質的には黒部川第一発電所に位置づけられる。最大出力は50,700kw。当時の日本では最大規模の発電所であった。その後、下流に宇奈月ダムが建設されることに伴い1992年に廃止、現在は下流70mの地点に「新柳河原発電所」が設けられている。

CHAPTER 5 1937年、欅平まで開通。「クロヨン」建設への礎となる。

CHAPTER 51937年、欅平まで開通。
「クロヨン」建設への礎となる。

宇奈月を出発する黒部専用鉄道(現黒部峡谷トロッコ電車)は徐々に延伸され、1937年には欅平までの全線が開通。建築資材の輸送が効率化されたことで、黒部川上流域の電源開発は加速する。1940年には、最高温度摂氏166度の高熱地帯が従事者を苦しめた高熱隧道、黒部川第三発電所が完成して発電を開始。戦時下の電力会社統合を経て、戦後事業を引き継いだ関西電力株式会社による、1963年の黒部ダム、黒部川第四発電所(通称くろよん)建設、さらには故・高峰が思い描いた日本の発展に向けて、盤石の土台が築かれていった。

SPOTS

SPOT01

黒部川電気記念館

世紀最大の工事といわれる黒部川の電源開発や、黒部峡谷の豊かな自然、水力発電の仕組みを学べる記念館。2023年3月にリニューアルオープンした館内は、プロジェクション映像やジオラマ模型など、最新技術を使ったダイナミックな展示が見どころです。

SPOT02

宇奈月ダム情報資料館
「大夢来館」

宇奈月ダム管理所の2階にある情報資料館。クイズや映像を交えた展示がわかりやすく、黒部川一帯や宇奈月ダムの様子が楽しく学べます。改めて、日ごろ何気なく使っている水に触れ、考えるきっかけも生まれそうです。

SPOT03

新柳河原発電所

ヨーロッパの古城のようなメルヘンな外観が特徴で、特にトロッコ電車から湖面越しに見る姿が美しい発電所。宇奈月ダムの完成によって水没が決まった柳河原発電所の代わりとして、1993年に今の場所に建てられました。

SPOT04

後曳橋

黒部峡谷で一番峻険な谷といわれる支流「黒薙川(くろなぎがわ)」に架かる青い橋。橋の上から谷まではおよそ60m。その深さに思わずあと退りをしてしまうことから名がつきました。橋のある黒薙駅から徒歩20分ほどで、宇奈月温泉の源泉・黒薙温泉へもアクセスできます

SPOT05

黒部川第三発電所

黒部峡谷鉄道の終着点、欅平駅の下方に位置する発電所。上流の仙人谷ダムは多くの殉職者を出す難航時の末に完成しました。物資輸送路も厳しく、竪坑エレベーターや高熱隧道で知られる上部軌道が造られたのもこの発電所と同ダム建設のためでした。

SPOT06

水平歩道

欅平から仙人谷までの約13kmを峡谷に沿って進む登山道。標高約1000mの等高線に沿って水平に整備されており、なかには絶壁が「コ」の字にくり抜かれている箇所も。建築当時は、道幅わずか1mほどのこの道を、重い建設資材を担いで歩いたというから驚きです。

LEARN

発電所建設から、温泉街へ。
持続的に発展してきた、
宇奈月の歴史を紐解く。

01

自然の恵みを
エネルギーへ

地表に降る雨や雪など豊富な水資源と、急峻な山々など独自の地形があってこそ行われる水力発電。日本では、純国産の再生可能エネルギーを生み出す手法として、古くから重要な役割を担ってきました。この黒部宇奈月一帯で行われてきた電源開発では、厳しい自然環境や険しい地形から電力を取り出すだけでなく、開発によってその景観美が人々に広く知れ渡ったことが特徴的です。当地では電源開発と自然景観を活かした観光産業が当初から計画され、現在もその姿が変わらず維持されている点が、現在改めて持続可能性の高い地域として着目されています。

02

100年続く生きた
産業遺産

黒部宇奈月の電源開発は、日本の近代化を支えた重要な産業遺産でありながら、今なお電力を生み、多くの人の暮らしを支える生きた産業遺産です。たびたび土砂崩れを起こす黒部川では、土木作業の需要が止むことはありません。開発に携わった先人たちは元より、今もこの地で営みを続ける発電所建設従事者、土木事業者、地域に暮らす人々、さらには観光に訪れる人々など、すべての人が力を合わせながら、地域産業の発展は続いていくのです。

03

発電から始まった
持続可能な観光地経営

自然と人との持続的な共生は、温泉経営という形でも実現しています。もとは黒部川流域の発電所の作業員の福利厚生施設として始まった宇奈月温泉は、開発プロジェクト全体で見れば些細なものだったことでしょう。しかし、温泉施設を残してほしいという地域の声を受け止め、工事が終わった後の作業基地に温泉街を整備することを計画した山田の決断は、結果として、当地を来訪した人が何度もこの地に足を運ぶきっかけを作りました。多くの視点から資源の活用を考える姿勢には、学ぶべきことが多くあるのではないでしょうか。

04

全ての人で支え合う
持続可能な地域の在り方

自然の恵みを享受しながら、人々が共に地域をつくり、限りある資源を守っていく。こうして産業と暮らしが絡み合う風景は、近代化の波に揉まれ、都市化する社会のなかで忘れられ、失われてきた景色なのかもしれません。過酷な自然環境が身近にあるからこそ、途絶えることなくあり続けた黒部宇奈月。人々の営みの中で、真の持続可能性を見出してきたこの場所に、今改めて目を向けてみませんか。

自然を大切にする、
人も大切にする。
そんな「持続可能な開発」が、
100年以上前から
行われてきました。

黒部の豊富な水資源を生かす発電所が築かれるまでには、先人たちの想像を絶するような努力と多くの知恵がありました。
明治中期から大正時代にかけて、黒部を含む日本各地で盛んに開発された水力発電施設は、時を越えた今、SDGsや治水の観点から再び注目を集めています。二酸化炭素を排出せずにエネルギーを生み出せることはもちろん、水害を防ぎながら、自然界に存在し続ける水を資源として活用すること。自然を生かして未来をつくった先人たちの気概と先見性には、昨今聞かれる“持続性”の本質が秘められている気がしてなりません。今を生きる私たちは、これからの社会に、地球に、何を残せるのでしょう。黒部の地で先人たちの足跡を辿りながら、共に考えてみませんか?

TOUR

黒部・宇奈月を知るツアー

水と電源開発の歴史
~地域の人々の暮らしをめぐるSDGsプログラム~

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